言いたい事は首題の通りで、皆が「ひとのせい」にすることで責任を被らない事が許される、という仕組みが蔓延していくと、全員が被害者になり、全員が致命的な被害を受けるという悲惨な状況になる。
力学的に言えば、ドミノ倒しのドミノが、円形に倒れている状態だ。想像して欲しい。 一直線なら、どこから倒れたか「スタート地点」がわかるものの、円形となっていては責任の発端がわからない。 「じゃぁ責任はどこにもないんだよ。」 そういう結論も考えられよう。 では、全部のドミノが倒れている、この悲惨な状況は何故? 地震でも起こったか?どこかのドミノを誰かが触ったのか? そんな詮索をしても意味が無い。 悪いとすれば、全員が円形に並んでいたから悪いのだ。つまり、「他人から流れてきた力=責任を、自分が受け止めずに次の人に流すという隊形に並んでいて、ちょっとの力で全員がぶっ倒れる準備完了!」なことが悪なのだ。 他人とかかわりあいを持たない=ドミノが他と触れないようにスカスカにならぶ、という事は、現代社会では無理だろう。 であれば、「倒れられても、自分は倒れない」という人が必要である。山のように不動なドミノ。鋼のドミノ。瞬間接着剤で床にくっついたドミノ。 方法はどうでもいい。 苦しくても、つぶれず、他に責任を転嫁しないドミノがいれば、災厄は防げるはずだ。 一人では心もとない。さりとて全員がそうなるのは難しい。 学会の、名も無き庶民は、そういう人間の織り成す山脈であると信じる。 この仕組みを、具体的に第二次世界大戦の戦争責任にあてはめるとどうなるか。 この続きはまた数年後にでも(笑)
by superserver
| 2009-05-30 05:30
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