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創価学会に対する偏見が多く、ちょっと凹んだ件
「創価学会」というフレーズに反応する人
http://kotonoha.cc/no/101069

このリンク先を見て、「なんだまたか」とは思ったものの、ちょっと凹みました。学会に対してマイナスイメージを持っている人が意外に多い、というかほとんどじゃん!

ネット上の意見なので、ホムンクルス的歪曲が大いにあるとは思いますが・・・それにしても、これだけ学会を世間は毛嫌いするという事実は、真摯に受け止めねば成らない。と今さら考え直した次第。

「正しき者が迫害されるのが世の常だ」という法則はあるけど、それを利用して、常識豊かに真の理解者を得る努力を怠っているとすれば、安易に学会の評判を落とすことに加担しているといわざるを得ない。

☆一生懸命になりふりかまわずやるのがいいのか?
☆よく考えて賢く行動すべきか?

答えは、池田先生が随所で指導されている通りでしょう。以下、新人間革命の抜粋を。大量で失礼。

第4巻 「春嵐」の章
また、たとえば、折伏に熱が入り、夜遅く人の家を訪ねる。そして、相手の方が休もうとしているのに、深夜の十一時、十二時になっても話し込んでいるとすれば、これも非常識です。自分では一生懸命に、真心を込めて話しているつもりでも、結局、相手にとっては、ただ、迷惑な話でしかありません。
 しかし、それがわからずに、?なぜ、あの人は素直に信心できないのだろう″などと頭をひねっている人もいる。これでは信心などできるわけがありません。(中略)
相手のことを思い、折伏をするのは仏法者として当然ですが、あくまでも常識のうえに立ち、知恵を働かせていくことです。非常識な行動があれば、どんなによい話をしても、その人を心から納得させることはできません。理屈ではわかっても、やっぱり学会は嫌いだ、ということになってしまう。それが人情というものです。

第4巻 「立正安国」の章

当時、女子部の中核であった「華陽会」のメンバーは、日々、布教に明け暮れていた。それは、三百万世帯という広宣流布の目標を達成するうえでは、やむをえぬことでもあった。
 しかし、伸一は、だからといって、悲壮感を漂わせて、なりふりかまわずに猪突猛進するような女性に育ってほしくはなかった。それでは長続きしない。いな、世問からも嫌われてしまうことになる。
 人問性を開花させるための信仰である。一輪の可憐な花が、周囲を明るくし、人びとの心を和ませるように、信心に励めば励むほど、思いやりにあふれ、明朗で快活になっていってこそ、本当の信仰といえる。

第7巻 「文化の華」の章
 一家のなかであっても、息子や娘を指導しきれないことが多いのに、毎月、何万世帯という会員が新たに誕生しているのですから、やむをえない場合もあるとは思います。しかし、私としては、みんなが理路整然と、道理に則って、納得のいく、折伏や指導ができるようにしたいと念願しております。
 そこで、教育部の皆さんは、その模範を示し、誰もが心から納得のできる、理路整然とした、道理に適った弘教、指導を実践していっていただきたいのです。仏法は道理です。皆さんが常識豊かな、道理に適った話をし、万人が心から納得していく姿を目の当たりにして、多くの会員がそれを見習うようになれば、広宣流布は、さらに進むと思うのであります」

第10巻 「新航路」の章より
 仏法は道理なんです。道理、常識を無視した活動というのは、一生懸命であっても、結局は自己満足にすぎない。そして、長い目で見た時には、社会の無用な反発をかい、かえって、広宣流布の邪魔をすることになってしまう。
by superserver | 2008-09-20 00:07 | 学会 | Comments(0)
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