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=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=矢の如し
カテゴリ:コラム( 13 )
怪文書委員会報: エセ科学を見破れ!~私の「簡易判断基準」(改訂)
昔流行した、「7.5HZ怪文書」もそうであるように、怪文書のよりどころとする「科学」は、たいてい「エセ科学」である。
<怪文書に関してはここを参照>

こういった怪文書を見破るには、ある程度の科学的知識や洞察力が必要だ。

エセ科学を扱かうBLOG等も参照して勉強して欲しい。
しかし、すべての学問に精通するのは不可能。
だまされないために、洞察力の方を鍛えた方がてっとり早そうだ。

ここで、私が編み出した「エセ科学簡易判断基準」を紹介したい。(えらそー)
基準は簡単。
論理が一方的か、そうでないか(公平か)の違いを見分けることだ。

真の科学者は、真理を追究するから、自己の考察に徹底的に反論を試みる。
また、自己の結論に対し、考えられる問題点を具体化する。研究がより進むように願う態度か。
多くの科学的「まじめ本」には、そういった態度が共通してみられる。
思うに、偉大な科学者ほど、「科学の限界」を痛感するが故にか、自己の研究を賛美せず、問題点にふれておこうとする態度が見られる。

一方、エセ科学は、自分の主張を繰り返し、賛美し、絶対視し、それが包括する問題点については触れようともしない。

たとえば、昨今、「~が、ガンに効く」といった本が多い。
それがたとえ自然食品であろうと、副作用の可能性や、効用に対する疑問点、諸問題も必ずあるはずである。
その記述があれば、科学的態度と評価できるが、これらほとんどの宣伝本は、「いいことだけ」を書いている。

理由は、著者が「真の科学者」なのではなく「儲けの当事者」だからだ。
真実を追究しているのではなく、利益を追求しているからだ。その態度は子供と変わらない。

子供が、おもちゃを買ってもらおうと、親にねだる時…
「大事にするから」
「ちゃんと片付けるから」
「いい子になるから」
と、普通は言う。
しかし、真実をみすえて、
「たぶん、1週間ぐらいであきちゃうかも」
「来年には、別のシリーズが出るから、今年一杯ですてちゃうかも」
「今日は片付けやるけど、明日になれば忘れちゃうんだよね」
などとは、思っても言わないはずだ。(子供は真剣にねだる故に、諸問題に考えが及ばないかもしれないが…)

食器洗い機の宣伝を見ると、「水道代が~円オトク!」
という文句が目立つが、同時に「電気代がどれだけ上がるか」
に言及している広告には出会ったことがない。
かなり熱いお湯を使って洗ってくれるのだから、かなり電気を食うはずなのだが…
未検証だが、もしかして、水道代が減ったお金より、電気代の方が高いのでは?とまで思ってしまう。

というわけで、宣伝と真実は、必ずしも一致しない。
従い、宣伝的態度のある主張は、私は科学とは思わないし、容易に信用しない。
これが私の「簡易判断基準」である。

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by superserver | 2009-11-11 11:11 | コラム
ネットでBLOGを読むのは読書と同じ位、有益か。
新しいツールは、生活を変える。家電や車、交通手段の進歩が我々の生活を大きく変えたように、「ネット」も、我々の知的生活様式を一変させたツールと言って間違いないだろう。

「インターネット」が出現したばかりの頃、「これで家に図書館ができたぐらい便利になった!」と感動にうち震えたものだった。とはいえ当時は有益なWEBサイトなど少数で、WIKIペディアもGOOGLEもなく、今から思えば「黎明期」だった。

現在に至っては、私はニュースのチェックから友人とのやりとり、調べ物にお買い物、仕事の情報収集にWEB上の会議と、生活の大多数の部分を「インターネット」に依存していると言っても過言ではない。随分と仕事のスタイルも変わった。

さて、ネットは「玉石混交」とよくいわれるが、「玉」に属する一部BLOGの完成度・情報の速さ・思考回路の斬新さにおいては、目を瞠るものがある。
中には、質量ともに「書籍を凌駕している」程のモノもある。しかもタダ(笑)
もちろん、本を出版するためには、推敲に推敲を重ね、著者・出版社の多くの苦労がある事は認める。
しかし、申し訳ないが、私の読書経験の中では、「読む価値のない駄本」と認定せざるを得ないものが少なからずあったのも事実だ。

「あえて言おう。カスであると!」

具体的な駄本リストは、ここでは割愛(笑)
昔から「読書」せよといわれ、「新聞を読め」と言われて育ってきたが、少しだけ思考回路を変更したい。良いBLOG、良いサイトを読むのは読書と同じ位、いや、それ以上に有益だと思う。

だから、漫然とネットサーフィンするのではなく、本屋さんで良書を厳選する時のように、自分の読むべき、読まぬべきウェブサイトを厳選しよう。この意識変革が、またライフスタイルを少しだけ変えることだろう。
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by superserver | 2008-12-12 12:34 | コラム
幽霊とは何だ?
斧板で話題になった話し。「なぜ幽霊は見えるのか?」

あたしゃ、見えません(涙) 見える人には見えるらしい。
「じゃぁ、ここへ連れてきて見せてくれ」と言っても、できる人に会ったことがない(笑)
あるか、ないか、という議論をすれば、見える人にとっては「在る」とも言えるし、私にとっては「在る」とは断言できませんわな。
で、突き詰めていくと「心は存在するか」という議論になっちゃうので、この辺で。

さて、私見ですが、霊が本当に見える、という現象は、「脳による固体生命信号の誤受信」ではないか、と思うんです。

「法華経の智恵」という書籍で、「生命は宇宙に遍満する、テレビの電波のようなもの」といった記述があったかと記憶していますが、この生命観からいえば、「自分が自分として、今までの記憶、宿命、福運などを受け継いで生きている、という事は、宇宙の生命から自分という生命を受信して、生活している」といえるかと思います。

周波数を間違えて、他人の電波を受信してしまうと、大変。人格がすっかり変わっちゃう(笑)

で、その電波の受信調整が、生まれつき混信を起こしやすい、といったものが「霊感」ではないかと。

そもそも脳の働きというものは、簡単に言うと、「檻に閉じ込められた猛獣」ではないかと思っております。失語症の患者さんが、すっごい絵を書いて見せたり、天才的な音楽家だったりしますよね。あれって、何かのトラブルで、言葉の部分にタガがはまり、そのかわり他の部分でタガが外れたのではないかな、などと素人なりに単純に考えてしまいます。
天才的な人のお話を聞いていると、「すげーなー」「マネできないなー」と思うのですが、実は、「出来ない」と思い込んでいるだけで、実はものすごく働き者な脳さんを、「働かせすぎない」ようにセーブしているだけではないでしょうか。

よーし、俺にもできるんだ。がんばるぞ、地球征服(笑)

あ、それで、「霊感」の話に戻りますと、これもタガの外れた「エラーにより得られた能力」と定義することもできますが、いかんせん「エラー」ですから、正常な働きではありません。

従い、霊感の強い人は、信心をするとエラーが修正され、霊感が弱まる、あるいは無くなるという現象が見られるはず…

まわりの霊能者で、「入信したら、めっきり霊が見えなくなった」という人、いませんか(笑)
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by superserver | 2008-11-09 00:01 | コラム
なにやら斧板と沖浦板が、全面抗争みたいになっている件について
なにやらシリーズ第二弾!
なにやら小野(斧?)さんと沖浦さんが、喧嘩をしているらしい件についての続き。

前回の「3分でわかる斧沖問題」をしっかり読み、リンク先も吟味してくれた人はわかってくれたと思いますが、それでもなお、「斧板では、沖浦さんを揶揄している。沖浦さんの板では、斧板を攻撃してる。全面抗争か?」といった質問が絶えないので一言書きます。

キッパリ。「抗争」とか「喧嘩」とかじゃありません(笑)

◎斧板で行われているのは、主に、
  沖板のウォッチと、それに対するツッコミ。。

◎沖板で行われているのは、主に、
  斧板への批判と、ツッコミに対する不快感の表明。

「なんだ、同じじゃん」というなかれ。

一方は、相手の発言を吟味し、破折。
もう一方は、「感情的反発」と「根拠を示さない、主観的評価」の応酬に終始。
だから、また、吟味して、破折しなきゃならない(笑)

「なんだ、エンドレスじゃん」というなかれ。

逆回転はしない ことに注目してください。
斧板では、「沖板のおかしさを検証するスレ」が林立しているのに対し、
沖板では、「斧板での発言を検証して批判するスレ」は無いのです。

あえて言うと、沖板では、斧板での発言を検証して批判するスレッドは作りたくても出来ないのです。なぜか。
始めから勝負はついているからです。
いや、根拠を示したツッコミと、つっこまれた方の感情的反発。構造上、勝負以前の問題ともいえます。

ここで、再度振り返りましょう。

前回書いたように、9月ぐらいまでは、沖浦さんは斧板で仲良くやっていたのです。
それが、ちょっと注意された事から、板を出て行かれた。もちろん自由です。いいんです。
普通はここで、「あんなー時代もーあぁーったねとー」で終わりでしょう。

しかし、沖浦さんは自分の板にこもって「自説の繰り返し」と「反対者への批判」を展開した。
私を含む、有志大勢が注意・訓戒・忠言・説得を繰り返すも、それに対し、「対話拒否」と「感情的反発」。挙句の果ては「生ゴミ」「現証出ますよ」発言。しかも他の類似掲示板へのマルチポスト。
だから、斧板も黙っちゃいない。
特別スレが林立。基本はウォッチ&ツッコミなんだけど、更に、これまでの「注意・訓戒・忠言・説得」も混ぜて、なおかつ余裕があるから、時々ユーモアも混ぜて、あーだこーだ、と、色々やっている。やればやるほど、沖板も燃え上がる。2つの対立するガソリンスタンド同士がガンダムの歌を歌いながら競争しているような危うさがある・・・

いつになったら、終わるのか?
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by superserver | 2008-10-26 12:07 | コラム
振り込め詐欺の真犯人は、銀行だぁ!
先日、振り込め詐欺の巧妙な手口をTVで紹介していた。
これだけ世間で騒がれていれば、ひっかかる奴などほとんどいないだろう、と思っていたが、どっこい。
とある有名人の奥様で実験したら、見事にひっかかってしまい、彼女は即座に通帳をもって家を飛び出してしまった。

昨年の「振り込め詐欺」被害は約2万件、250億円だそうだ。1件あたり125万円ってとこ。
あなたの家にも、詐欺師から電話がかかってくる日も、そう遠くないかも!?

ところで、この手の詐欺は、「銀行さえしっかりしていれば、起こりえない」と思うのは私だけだろうか?
これだけ騒がれていて、なぜ銀行は今もって「詐欺に加担しているのか」というのが、私の印象である。

もちろん、疑いのある口座を凍結したり、対症療法は行っているのは知っている。
が、そもそも、「誰の口座かわからないものを、ご丁寧に維持・管理している」のがいけない。
私自身、いくつも銀行口座を持っているが、銀行から「本人確認のおねがい」通知来たことなど、一度も無い。
確かに、定期的に全ての口座の所有者を確認するのは、莫大な費用がかかるから、仕方ないのだろうか。

しかし!
振り込め詐欺を防止しようと真剣に思うならば、いくらでも対策はあるはずである。シロウトの私でも、すぐにこれだけのアイデアを思いつくぞ!

1、「安全口座確認制度」
顧客が銀行に問い合わせると、「口座の本人確認状況」を教えてくれるサービス。
別に個人情報を漏らすわけでも無いから、問題ないはず。
ついでに、銀行から、この送金の経緯を聞いて「詐欺度チェック」をしてくれると、なおよい。

2、「詐欺被害銀行負担制度」日本全国で250億という数字は、すごい金額ではあるが、銀行にとってはたいしたことはない。
これぐらいの金額であれば、銀行が「詐欺被害であったことがはっきりすれば、そのお金はお返しします」と言ってもよさそうだ。
これはかなりセンセーショナルな報道が期待できるから、私が経営者であれば、イメージアップの宣伝費用として実行すると思う。

3、「条件付送金制度」
多額の送金をする時には、「キャンセル権」を付保する。
1日以内なら、「しまった」と気づいた時にキャンセルをすることができる、というもの。

まあ、ジャストアイデアなので、様々な問題点はあろうが・・・

我々のような私企業とは違い、銀行には銀行の事情があるようだが、それにしても、顧客のニーズからかけ離れているといわざるを得ない。
要は、需要があっても動かない。なんだ、役所と同じじゃん。
大いに腐ってますな。

競争のある健全な社会であれば、顧客第一を標榜するなら、「やれ」といわれる前に、これでもか、と新規提案をするのが当たり前であろう。
車にしても食べ物にしても、家電製品にしても、「これでもか」という提案であふれている。

脱線するが、世の中のダンナ様なんかも、「この辺にタナを作ったらどうだろう」と、自分から提案して率先して行動する方が、
「あれ、修理してよ」というお願いを、1年ぐらいほったらかしておくダンナよりいいのではないか。
もし、これも競争の世界だったら、面白いですな。かくいう私は、なるべく腐っていない方になるよう目下努力中であります。

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by superserver | 2006-06-03 15:05 | コラム
無神論と我が信仰
日本人の多くは、習慣的な宗教行事には参加はしても、信仰心を持っていない人が多い。むしろ、特定の宗教を信仰することに対して「胡散臭い」と思う。
考えてみれば、日本だけでなく、現在の世の中には宗教を「心から」信じることを難しくするさまざまな要素があるように思う。

私は、創価学会においてこの日蓮信仰に出会い、信じる側の人間である。しかし、もしこの信仰に出会わなかったら、上記の例にもれず、無宗教・無神論を決め込んでいたことだろう。


(1)信仰蔑視へのお誘い~「インチキ宗教家」「宗教の名を借りたテロ」
しばしば報道されるように、人々の信仰心や、偉大なモノに対する人間の畏怖心を利用し、オカルト・インチキで金儲けをし、功名心を満たそうとする下劣なエセ宗教家がいる。
その本質は唾棄すべき「宗教利用」であり、「人間蔑視」であろうが、インチキ宗教家の罪は、むしろ、人々に宗教に対する不信を植え付けてしまうことではないか。

オウム真理教が行ったテロを見て、「宗教とは怖いものだ」と、思ってしまうのも無理はない。
また、宗教を標榜したテロリストや、それを封じ込めようとする国家が「宗教」を利用して起こす戦争を目の当たりにし、「宗教こそが悲惨の原因ではないか」と思ってしまう人を、私はあえて批判せず、同感したい。

一本の木を見て、森全体を理解するのは不可能であるが、多くの腐った木々を目の当たりにし、「この森にはまともな木はなさそうだ」と思ってしまうことは、悲しいけれども、仕方がないようである。

(2)科学信仰
科学は、「真実」を追い求める。
したがって、科学で証明されたものは、「正しい」はずだ。
だから、科学がまだ解明していないものに対しては、正直に「まだわからない」とすべきだ。
しかし、科学の発展がめざましいがために、それを万能と思い込み、まだわからないことに対しても、断定的に論ずる風潮がある。

たとえば、脳と心の関連性については、まだ脳のメカニズムは(全くといっていいほど)解明されていないにもかかわらず、あたかも「脳=コンピュータ」といった拙速な論理をもって、人間の行動を機械的に理解しようとするのは、行き過ぎだと思う。
記憶について言えば、脳があたかも「メモリ」のように言われているが、それはまだまだ乱暴な結論だ。
(私の考えでは、脳以外にも記憶を保存する「場所」はあるのではないか{体内・外にかかわらず!}と思うが、ここでは触れない。いずれ詳しく書きたい)

上記理由により、科学信仰によって「心」の存在を否定し、生命の営みを、ただの物質による偶然の機械的な運動に帰するのには、反対である。

(3)だらしない聖職者
日蓮大聖人は、当時の聖職者を痛烈に批判した。
残念なことに、その流れをくむ「日蓮正宗」の寺院に棲む坊主たち自らが、日蓮の批判の矛先である「堕落した聖職者」に成り下がってしまった。
1番で述べたことと相通じるが、最も宗教を宣揚し、人々に尽くさなければならない立場の者が、宗教を職業化し、心ある者の誠意をふみにじっていることは、誠に悲しく、恥ずべきことである。

以上述べたような様々な障害を越えて、確固たる信仰を持つに至った自分は、本当に幸せであると思う。
何より、この信仰によって力強く、何があっても前向きに生きるエンジンを与えてくれた様々な恩人に、感謝する毎日である。

願わくば、世の無神論の人々は、これまで見てきた腐った木々に飽きず、最後の砦として創価の門をたたかれんことを。
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by superserver | 2006-05-31 23:22 | コラム
「常識」???…たとえば、「二酸化炭素と地球温暖化」
アインシュタイン爺様博士は、Common sense is the collection of prejudices acquired by age eighteen.とおっしゃっています。え、訳せって?
「常識とは、18歳までに培われた偏見の集合である」とでもなりましょうか。

ウチの村の常識は、隣村では通用しなかったりします。
日本の常識は、世界の非常識、なんて言葉もありましたっけ。
でも、「二酸化炭素と地球温暖化」は、世界の常識でしょう!なんて思っちゃいませんか?
いまや、二酸化炭素排出にお金がかかる時代。当然ちゃー当然の図式ですが、さにあらず。
それに異を唱える人も大勢いるわけで、なかなか説得力がある。

トラバしておきましたので、興味のある方は見に行ってください。
ちょっと冒頭だけ引用しときますと:

「二酸化炭素は悪の大魔王」という神話
 「二酸化炭素が増えたら、地球は温暖化する!温暖化したら南極の氷が溶けて海面は上昇、世界は沈没するんだよぉぉぉぉぉぉぉ!!」

 みなさんはこのセリフを何回ぐらい聞いたことがありますか?私は新聞や雑誌で何度も見たことがあります。
 はたから見れば、この論法にはケチのつけようがありません。

 二酸化炭素は温室効果を生み出す→二酸化炭素が増えている→世界は温暖化する→氷が溶けて世界沈没

 まさに見事な四段論法です。ピュアな心を持っている人は、車で海に行く計画を「はっ!俺が車を運転すると世界が滅亡するのか!」と自分の愚かさを反省して断念し、暑い部屋で二酸化炭素を排出するクーラーにあたりながら自然保護の本を読みふけってしまいそうです。


なかなか私好みのヤワラカくてクセのある、鳥の皮みたいな、皮肉な文章。
私なんかは、京都議定書以来、息は吸っても、吐かないようにがんばってきた口ですが(ウソ)、皆さんはいかがでしょうか?
こういった問題を真剣に検討してみることも、「常識」を打ち破り、真実を追究する訓練になりますぜ。
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by superserver | 2006-03-23 00:18 | コラム
おすすめ本 「プロカウンセラーの聞く技術」

「プロカウンセラーの聞く技術」
【著】東山 紘久

自分的には、久々の大ヒットです。わが人生を変えるであろう(本の中の)一冊。

詳しい感想文はまた後ほど…
(まだ書きかけ…)
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by superserver | 2006-03-09 00:52 | コラム
供養と功徳
供養とは、強制されてやるものではない。
また、心からの供養がもたらす結果が、計り知れないことは御書にも枚挙に暇が無い。(仏に土の餅を供養せし徳勝童子は阿育大王と生れたり、金珠女は金銭一文を木像の薄と為し九十一劫金色の身と為りき、等)

「供養」の意味も、金銭的な寄付に限定する必要もないと思う。
大事な時間を割いて、部員さんのために走るのも、立派な「時間の供養」であろうし、会合に集った人々にふるまうお茶の一杯、さらにはねぎらいの言葉ひとつに気を使うことでさえ、供養と言えるのではないか。(しかもタダだし!)

供養の対象が、同志であることには矛盾はない。なぜなら、同志が仏の集まりそのものだからだ。

私自身は、明示的にも暗示的にも強制されたことは一度もないが、広宣流布のためになれば、との思いで毎年若干のお金を寄付させていただいている。
貧しい家の出の私が、近年お金に困った経験がないのは、そのおかげであると確信している。ただしこれは個人的な信心の範疇であり、説明してわかってもらう類の話ではないと認識する。
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by superserver | 2006-03-04 19:46 | コラム
あったあった、ありました。
創価学会体験記というBLOG、みつけました。
もともと、アンチ学会サイトをさがしていて、単なる批判のための批判に終始しているサイトばかりで辟易していたのですが、なかなか内容も充実して、長期間にわたり、BLOGを続けていらっしゃる。
アンチ学会の方の気持ちを考える上では非常に参考になりました。

トラバさせていただきました!
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by superserver | 2006-02-24 00:26 | コラム



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